「結婚」という選択に責任をもつ
生まれてから死ぬまでに、人はさまざまな「選択」をしています。
愛することは、生きること。
〜ウエディング・コンシェルジュの「愛を哲学する」結婚コラム〜
Text by Yoshimi Umezawa
哲学を表すラテン語の「philosophia」は「philo=愛」「sophia=知」で、「知を愛する」という意味が込められています。結婚という人生の大きな分岐点にあたり、たくさんの愛を感じている一方で、不安や焦り、悩みを抱えている方もいることでしょう。あなたにとって大切な時期です。「自分を知り」「相手を知り」「愛を知る」時間をつくってみませんか♪
朝起きて、顔を洗って、ごはんを食べて、着替えて、出かける…毎日、なに気なくしていることも実は選択の連続。人は生まれてから死ぬまでに、さまざまな「選択」をしています。
あなたは当然のように、夜になれば寝て、朝になれば起きていると感じるかもしれません。けれど、終わらない仕事や見たいテレビがあれば、寝ないで徹夜することもあります。朝だって、眠い、出かけたくない、体調が悪い…そんなときはベッドから出ずに、一日寝ているという選択もできる。
また、小さなことから、大きなことまで、だいたいのことは「ひとり」で選択して行動することができます。もちろん幼いころは保護者の庇護のもとその選択に従うしかないこともありますし、誰かの意志が強くてがんじがらめにされてしまうこともある。ご家族や友人などと複数で選択・行動をすることもあるでしょう。しかし、ある程度、自分の意志をもつことができる年齢になれば、多くのことはひとりでできるようになります。食事だってひとりで食べればいいし、旅行だって、遊園地にだって、映画にだって、ひとりで行けばいい。人生の大きな出来事である学校に入ったり、留学したり、働いたり…これだって、自分ひとりの意思決定次第で選択し行動できる。たとえ試験に受からなかったとしても、受かるまで努力し続ければいい。
ただし「結婚」は違います。
自分ひとりだけの選択で「結婚」はできないんです。
「結婚できるよう努力しています」。そう仰る方もいます。けれど、ひとりの「努力」だけで結婚できるなら、みんないくらでも努力しますよね。
結婚生活の継続のためには「努力」が必要なことがあるかもしれませんが、結婚という「選択」をするのに「努力」は必要ないと私は思います。パートナーとの合意があれば「結婚」を選択し、婚姻届を出すことができる。
日本国憲法第24条では「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」と定められています(近年は同性によるパートナーシップ制度を認める自治体も増えてきました)
「結婚」はひとりでは出来ません。ふたりでしか出来ないことなのだから、あなたとパートナーが下したその選択に対して、お互いへの「責任」が生じます。そう、相手への「責任」。ひとりで決めたことは自分への「責任」だけでいいけど、ふたりで決めたことは相手への「責任」があると私は考えます。
ただ、「責任」というと「離婚をするな」と言っているように聞こえるかもしれません。そうではありません。すべては「原因」があって「結果」がある。あなたの人生において、自らが選択した「原因」について「結果」に責任をもってもらいたい。それは相手があることならなおさら…。ただ、そう思うのです。
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